備中松山城についてもっと詳しく ←←← こちらへ 『”つわものどもが 夢の跡” 在りし日のもののふの鼓動を感じて』 標高430mの臥牛山頂上付近に建つ天守は、国の重要文化財で、現存天守を持つ山城としては最も高い所にあります。 備中松山城は岡山県高梁市にあって、江戸時代からの天守が現存する12のお城の一つです。そして、備中松山城は山城で、天守は山の上にあります。なので備中松山城の天守は現存する12の天守うち、唯一山城にある天守としても有名です。 ☑登城整理バス運行日は下記からチェック!運行していない日はふいご峠まで自家用車で乗り入れ!, ☑ふいご峠からの登城コースは、自家用車の方も駅からタクシーの方も共通の基本コース。, 秋から春(9月下旬~4月初旬、とくに10月・11月)にかけて、条件がそろうと早朝に雲海を見学することができます。, 雲海に浮かぶ備中松山城の姿はとても幻想的で、「天空の城」の光景を見られるフォトスポット。, 雲海展望台へのタクシープランのネット予約はこちらをクリック(外部サイト「アソビュー!」へ移動します), 標高430mの臥牛山小松山山頂にそびえ、岐阜の岩村城、奈良の高取城とともに日本三大山城にも数えられています。, 9月下旬から4月初旬(とくに10月・11月)には雲海に包まれる幻想的な姿を見ることもでき「天空の城」とも形容され親しまれています。, 春の新緑、夏の青空、秋の紅葉、冬の雪景色と季節ごとに山城景観を楽しんでいただけるとともに、高さ10mを超える天然の岩盤を利用した壮大な石垣群や、国指定重要文化財の土塀、二重櫓など登城の道のりにも見所が沢山あります。, 本格的な木造天守を見学すると共に、自然景観や山城の遺構を楽しみながら登城をお楽しみください。, また、平成30年7月豪雨後に住み着き、現在「猫城主さんじゅーろー」として人気の猫がいる城としても有名です。. 備中松山城を散策しながら友人に私の薄弱な知識で薀蓄《うんちく》をしていると、話に出した鬼ノ城と備中高松城に興味を持ったようです。流石にこれから鬼ノ城散策は時間的に厳しいので、備中高松城跡に行ってみること 備中松山城を実際に訪れた旅行者が徹底評価!日本最大級の旅行クチコミサイト フォートラベルで備中松山城や他の観光施設の見どころをチェック! 備中松山城は備中高梁で1位の名所・史跡です。 一方、備中松山城は二重二階、高さ11mほどの構築物。現存天守12城のなかでも最も低い天守です。 他の城の天守と比べると、迫力に物足りなさを感じてしまうような気もしますが、正面の出窓がアクセントとなってドシッと構えた力強さを感じる天守です。 その後、備中松山城主は上野氏・庄氏と代わり、永禄4年(1561)には安芸の毛利元就の支援を得た成羽鶴首城(現高梁市成羽町)城主の三村家親(みむらいえちか)が備中松山城を攻め、尼子氏の加番吉田左京亮(よしださきょうのすけ)を討ち破り、備中松山城主となりました。 松山城(まつやまじょう)は岡山県高梁市内山下にあった日本の城(山城)である。別名、高梁城(たかはしじょう)。愛媛県松山市にある松山城を初め、各地の松山城との混同を避けるために、一般的には「備中松山城(びっちゅうまつやまじょう)」と呼ぶ。日本100名城の一つ。現存天守12城の一つでもあり、この中で唯一の山城である[1]。臥牛山山頂(標高487m)から南稜線にかけて遺構が残っており、そのうち一つである小松山城跡に現存天守(標高430m)がある。, 城のある臥牛山(松山)は4つの峰からなり、小松山に本丸・二の丸・三の丸が階段状に配され、大松山、天神の丸、前山にも遺構がある。海抜約430mの臥牛山小松山山頂の本丸へは、麓の城下町から約1,500m、1時間ほどの道のりがある。この城は戦に備えて建設された「詰の城」であり通常はあまり使われていなかったと思われる。, 江戸期の備中松山藩時代は山城で不便なため、山麓の城下町に「御根小屋」と呼ばれる藩主の御殿と家来の武家屋敷群を構え、そこで藩の政務を行った。現在、御根小屋の跡地は岡山県立高梁高等学校となっている。, 備中(岡山県西部)は小藩に細分化され、倉敷のような幕府の直轄地もあったので備中松山藩の石高は6万石ほどであった。, 城跡が国の史跡に指定され、江戸時代に建造された天守、二重櫓、土塀の一部が重要文化財に指定されている。そのほかに石垣、復元された櫓、門、土塀が現存する。日本三大山城の一つとされる。, 仁治元年(1240年)、秋庭三郎重信が備中有漢郷(現・岡山県高梁市有漢町)の地頭となり大松山に最初の城を築いた。元弘年間(1331年頃)、高橋宗康が小松山まで城を拡張した。, 城主は時代と共に上野氏、庄氏、三村氏と変遷する。戦国時代、三村元親の時代には大松山・小松山を範囲とする一大城塞となった(現在も石垣の一部が残る)。, 元亀元年(1570年)には元親が備中に兵を進めた宇喜多直家を迎え撃つために出撃した際に、直家と通じた庄高資・庄勝資親子に松山城を占拠されるという事態が起こったが、翌元亀2年(1571年)2月に穂井田元清の協力の元で庄高資を討ち、松山城を奪還した。天正2年(1574年)、三村元親は毛利氏から離反し織田信長に寝返った。翌年にかけて、三村氏と毛利氏の争いが続く(備中兵乱)。城は毛利方の小早川隆景により落され、元親は自害した。備中兵乱の後、毛利氏の領有となった。, 近世を通じ、城主は池田氏、水谷氏、安藤氏、石川氏と入れ替わり、最後の城主は板倉氏であった。, 慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いで毛利氏が西軍につき敗れた後、江戸幕府が城番(小堀正次・政一)を置いた。この頃、麓に御根小屋が築かれた。, 元和3年(1617年)、池田長幸が入城し、6万3000石で立藩するが、寛永18年(1641年)、2代長常が嗣子なく没したため同家は廃絶。備後福山藩主の水野勝成家臣が城番となった。翌寛永19年(1642年)、水谷勝隆が5万石で入封。2代勝宗は天和元年(1681年) - 天和3年(1683年)にかけて天守建造など3年にわたる大修築を行い、城は現在の姿となった。しかし、3代勝美は嗣子なく元禄6年(1693年)10月に死去。その養子となった勝晴はわずか1か月後の同年11月に13歳で早世し、水谷家は断絶した。, 水谷家断絶後は赤穂藩主・浅野長矩が城の受取りにあたり、家老・大石良雄が城番となった。元禄8年(1695年)、安藤重博が6万5000石で入封するが、正徳元年(1711年)に転封。同年、石川総慶が6万石で入封した。延享元年(1744年)、石川氏が転封になると、板倉勝澄が5万石で入封し、明治時代まで板倉氏が8代続いた。, 慶応4年1月18日(1868年2月11日)、戊辰戦争で朝敵とされた松山藩は執政であった陽明学者・山田方谷の決断で無血開城した。, 明治6年(1873年)、廃城令が公布され、御根小屋は取り壊された。山城は新政府によって7円(現在の約5万円)で商家に売却された。あまりにも不便な場所にあることから山上の建物は解体されずに放置され次第に荒廃していった。昭和初期、高梁中学校教諭の信野友春が崩壊寸前の山城を調査しその詳細な記録を『備中松山城及其城下』に著し刊行する。信野の著書を契機に山上の建物が修復の機運が高まり、修復のために高梁町によって1万8000円の予算が組まれ、修復された。, 昭和16年(1941年)には天守、二重櫓、三の平櫓東土塀の3棟が当時の国宝保存法に基づく国宝(旧国宝、現行法の「重要文化財」に相当)の指定を受ける。これら3棟は、昭和25年(1950年)、文化財保護法の施行により、重要文化財となった。昭和31年(1956年)11月7日には城跡が国により史跡に指定される。昭和35年(1960年)、高梁市が管理団体となる。平成6年(1994年)より本丸の復元整備が行われ[2]、本丸南御門、東御門、腕木御門、路地門、五の平櫓、六の平櫓、土塀などが復元された。平成18年(2006年)4月6日、日本100名城(68番)に選定された。, 松山城の天守は、構造などは不明であるが毛利氏時代から、小堀氏が城番で入城する慶長の間にはすでに存在していたと考えられている[3]。現在見られる天守は、天和元年(1681年)に2代水谷勝宗が造営したとされるが、慶長5年(1600年)に小堀政次、政一が建てたものを、2代水谷勝宗が改修し、現在のような姿になったともいわれる[4]。, 現存する天守は、2層2階で、西面に半地下のようにして付櫓(廊下)が附属する複合式望楼型天守である。現在は西面に附属する付櫓(廊下)に開けられた出入り口から入ることができるが、当初は、八の平櫓から渡櫓を経て天守へ至った[4]。また天守に通じる石段は、敵の侵入を遅らせるために、直角に曲げられている。1階には、調理や冬の暖をとるために長囲炉裏が掘られているが、城内で火を使うことは禁じられ[要出典]、ほとんど使われることはなかったといわれている。一段高い場所にある「装束の間」は、城主の御座所であるとされ[4]、また城が攻められた時に城主が自害をするための場所であるともされる[3]。2階には、愛宕権現や成田明神など9柱の神を祀った「御社壇(ごしゃだん)」と呼ばれる舞良戸で仕切られた部屋がある。外観は、建物高さが約11mほどで現存する12か所の天守の内では最も小規模であるが、12か所の内では最も高所にある[5][6]。腰板張りで1重目の唐破風出窓や2重目の折れ曲がり出窓など、縦連子窓を多用し、1重目屋根には、西面に千鳥破風、北面・東面に入母屋破風、南面に向唐破風が付けられている[4]。, 大手門跡の後方にそそり立つ巨岩と、その上に載る厩曲輪石垣は圧巻である。しかしながら、巨岩の割れ目に貫入した樹木の成長により、割れ目が次第に大きくなっている。更に巨岩の上に載る石垣の重みで岩のズレを生じている。これらの影響で上部の石垣が変形しつつあり、将来崩落する危険を孕んでいる。, このため、平成11年(1999年)より高梁市教育委員会は京都大学防災研究所と共同で、岩盤斜面にペルー・マチュ・ピチュ遺跡などで地滑りの観測をしているのと同様の不安定岩盤斜面監視システムを設置し、調査・観測している。, 臥牛山には野生の猿が生息しており建造物に登り壁や瓦を破損させるなどの被害が出ていた。このため平成の復元整備の際に、主要建造物の周囲に高圧電線の柵を張り巡らせ侵入を防止する対策を施している。また、登城道路脇にはフェンスが張られ、猿と同時に猪が麓に降りて農作物を荒らす被害を防止している。, 竹田城(兵庫県)のように時期や条件などが合えば雲海に浮かぶ姿が見られ[7][8]、その姿は天空の城と称される[9]。, 標高87mのところに松山城登山口バス停、標高196mに城見橋公園駐車場(110台、駐車無料)、標高291mにふいご峠駐車場(14台、駐車無料)がある。, 土日祝日及び観光シーズンの平日は、城見橋公園⇔ふいご峠の間をシャトルバスが運行しており、同区間において自家用車は通行禁止となる。そのため、自家用車は城見橋公園で駐車後、シャトルバスに乗り換えてふいご峠まで行くことになる。シャトルバス運行期間外は自家用車でふいご峠まで行くことができる。, 徒歩での天守までの所要時間は、ふいご峠からは約20分、城見橋公園からは約40分、松山城登山口バス停からは約50分、備中高梁駅からは約90分。, 雲海に浮かぶ備中松山城を望む展望台(雲海展望台)の位置は、備中松山城の臥牛山とは別の山にあるため、備中松山城とは違う道を通ることになる。賀陽ICから車で約10分と近く、国道484号の高梁市松山地内から市道を入り約3.7km先に位置する。展望台付近に駐車スペースがあるものの台数が非常に少なく、混雑期は付近の路上へ縦列駐車を行う必要がある。, 大河ドラマ『真田丸』のオープニング映像に使用された。真田氏とは縁がなかったが、岩山の上に残る城郭が真田氏の居城のイメージに近かったことからNHKのディレクターの目に留まりロケ地に選ばれた[10]。, 猫城主として「さんじゅーろー」がいる。元々は2018年7月1日に引き取られた飼い猫だったが、同月14日の平成30年7月豪雨の際にベランダから失踪した。その1週間後に当城にて発見されて、世話されているうちに城に居着くようになり「城主」の呼び名が浸透した。高梁市観光協会が元の飼い主を探していたところ、同年10月中旬に見つかったが、城に居着いてしまったことから観光協会に譲渡が決まった。被災から激減していた観光客数は「さんじゅーろー」人気でV字回復していたものの、同年11月4日にも再度失踪し、同月23日に発見されて以降は獣医師の元でのルールを決めた上で猫嫌いな訪問者にも配慮することとした。2018年12月16日には正式な猫城主として「再入城の儀」を行った[11][12][13]。(備中松山城 猫城主 さんじゅーろー(高梁市観光協会)), https://web.archive.org/web/20190212231817/https://www.asahi.com/articles/ASLDJ4J9GLDJPPZB00F.html, https://web.archive.org/web/20190212231655/https://www3.nhk.or.jp/lnews/okayama/20190209/4020002227.html, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=松山城_(備中国)&oldid=80530325, 時期:9月下旬から4月上旬の早朝、特に10月下旬から12月上旬は可能性が高い。12月から2月末までは積雪になる事もあるので注意。時間は明け方から午前8時頃まで。, 雲海展望台観光乗合タクシー : 前日17:00までに高梁市観光案内所へ要予約。10月~3月の早朝2便。備中高梁駅からの送迎と、雲海展望台の見学を含めた、所要時間約70分のコース。(2,000円/1人). 備中松山城は日本100名城に選ばれ、昔のまま現存する天守12城のうちのひとつで、唯一の山城です。 山の上にあるので、登城までの道のりは大変です。 場所は、松山城といっても愛媛県ではなく岡山県で、高梁(たかはし)市を見下ろす山頂にあります。 今回は、備中松山城の歴代城主43人の名前の一覧と、今話題のかわいい猫城主さんじゅーろーちゃんについてご紹介します。 備中松山城の歴代城主43人の名前一覧. 新型コロナウイルス感染症拡大予防のため、手洗いやマスク着用を含む咳エチケットにご協力お願いします。, 国指定重要文化財の備中松山城は「現存12天守」の一つで、天守が現存する“唯一の山城”です。, 【大人】500円 【小中学生】200円 団体割引あり30人以上1割引 100人以上2割引/※次に該当する方は、入城料が免除となります。 ・土・日曜日、祝日に観覧する市内の小中学生 ・市内に住所を有する65歳以上の方 ・障がい者手帳をお持ちの方と介助者1人, 【お得な共通券】3館共通券1,000円(備中松山城・武家屋敷館・頼久寺)/5館共通券1,500円(備中松山城・武家屋敷館・頼久寺・郷土資料館・山田方谷資料館), 【4月~9月】9:00~17:30 【10月~3月】9:00~16:30 (最終入城時間:閉城時間の30分前。ご理解・ご協力をよろしくお願いします。). じゃらんnetユーザーShotaさんからの備中松山城への口コミ。標高430メートルの臥牛山頂に建つ備中松山城。1240年、秋庭重信により築城。常用ではなく、戦の際の「詰の城」であったようだ。二階二層の天守はかなり小振り。 【最安値保証】【岡山・高梁・観光タクシー】雲海に浮かぶ備中松山城!雲海展望台までの乗合タクシーを予約するなら日本最大のレジャー情報サイトアソビュー!へ。高梁・新見・吉備高原の観光タクシーの魅力を写真・動画で紹介中。 1240年と言われています。 つまり約770年の. そもそも備中松山城とは? 出典:Twitter@備中松山城猫城主さんじゅーろー 備中松山城とは、西暦1600年頃に築城された天守が現存する貴重な山城で、岡山県高梁市にあります。 お城の見廻りタイム:10:00 (ほぼ毎日10時~と14時~の約30分お散歩…いや、城見廻りされています) ※新型コロナ感染防止のため、さんじゅーろー君へのお触りは当面禁止です。 日本でも数少ない、雲海に浮かぶ天空城のひとつ「備中松山城」。岡山県高梁市にある臥牛山に位置し、歴史好きだけではなく、多くの人々を魅了してやまない人気の観光名所です。 歴史探索とともに、大自然が織りなす幻想美を体感してみませんか。 備中松山城(高梁市)に行くならトリップアドバイザーで口コミ(294件)、写真(708枚)、地図をチェック!備中松山城は高梁市で1位(55件中)の観光名所です。 備中松山城の雲海を見るために泊まりました。車で先導していただけるプランです。ロッジ風のお部... 口コミを見る. 関連記事⇒『ふいご峠』駐車場の台数は?自家用車の乗り入れ可能日は? 本丸(城・二重櫓・資料館)の見学時間はゆっくりで1時間前後です。 山城なのでもちろん、売店など飲食を購入するような店はありません。 歴史を持っています。 しかも天 主は戦火に. 備中松山城は、世界最大の旅行口コミサイト「トリップアドバイザー」の、「口コミで人気!日本の城ランキング 2019」 第9位 に選ばれました。[詳しくはこちら] 備中松山城を出発したのが10時45分で、備中高梁駅に到着したのは12時ちょうどだったので、1時間15分も歩き続けたことになります。 感想. 巻き込まれることもなく、 建築当時の姿を残しています。 また山城は通常、 中世城郭なのですが、 幕末の備中松山藩主の 板倉勝静 (いたくら かつきよ)をご存じでしょうか。. 備中松山城の猫城主・さんじゅーろー -岡山県高梁市- 訪問日:2020年8月09日(日)09:30頃. 備中松山城ってどんなお城? 備中山中城の最初の築城は. 備中松山城のアクセス駐車場. 備中松山城(岡山県高梁市)は、標高480mの臥牛山(がぎゅうざん)の懐深く曲輪群を形成する。そして二層天守の白と黒のコントラストが木々の緑に鮮やかに浮き立つ。天守は江戸後期の築城だが、戦国期、すでに臥牛山の4つの峰々は要塞化されていた。 備中松山城も竹田城と同じように雲海に浮かぶ姿を見ることができます。 しかも備中松山城の場合は天守が現存していますので、石垣だけの竹田城とはまたちがった、幻想的な風景となってい … 備中松山城を守る庄高資や斉田城主・植木秀長などはこの時に宇喜多側に寝返った。 更に機に乗じて宇喜多勢は猿掛城などを攻め落とし、これに危機感を覚えた 安芸国 の 毛利元就 は四男の 毛利元清 を遣わして猿掛城を奪還し、更に備中松山城を攻撃し庄氏を追い落とした。 備中松山藩の藩士から新撰組の隊長になった谷三十郎にちなみ「さんじゅーろー」と名付けられました。 その可愛らしさと人懐っこさから観光客の人気となり、豪雨で落ち込んだ城の入場者数をV字回復さ … 導入部分でも触れましたが、備中松山城の天守閣までは車で行くことができません。 そのため自家用車で行く場合、ちょっとめんどうなのです。 いったん臥牛山の5合目にある駐車場に自分の車を停めてから、バスに乗り換えて8合目まで行き、そこからは徒歩で登山することになります。 ざっくりした順序は以下のとおり。 このあと、それぞれの詳細についてご紹介します。 →備中松山城の概要をみる(たびノート) 遺跡風景なら竹田城が有名だが、こちらは現存する天守閣を備えた岡山県にある『備中松山城』だ。雲海(朝霧)に包まれた備中松山城は、訪れる者を圧倒する迫力。雲海が出る時期や、備中松山城マップ、天空の城を望むスポットを解説。 岡山県高梁市にある備中松山城は、仁治元年(1240年)に秋庭三郎重信により築城されました。 備中松山城は、苦労して登った甲斐があって、いい経験ができました。歴史を感じるお城・展示物も良かったです。 1日で備中松山城と倉敷の観光をしたいと計画していたので、時間を無駄にはしたくない! ①徒歩:備中高梁駅から備中松山城は3.1km、約1時間30分。 ②バス:高梁バスセンターから松山城登山口10駅、9分、松山城登山口から備中松山城まで1.5km、徒歩42分。 10月31日、晴れるとの予報から最近、人気が高まっている天空の城、備中松山城へと向かった。朝5時、家を出た。こんなに早く家を出るのは巡礼に出る時以外には無い。 Copyright © 2012-2020(一社)高梁市観光協会 All Right Reserved. そろそろ紅葉の木々と雲海に浮かぶ備中松山城(高梁市内山下)が見えるのではないかと思い出かけてみることにしました。自宅を出る時の外気温は10℃、少し暖か過ぎるかなと思いつつも6時に出発、吉備中央町経由で7時少し過ぎに雲海展望台(高梁市奥万田町)に到着しました。 備中松山藩は、現在の岡山県高梁市にあった藩で、今でも江戸時代に作られた山城が残っています。11月の雲海が出るシーズンには、雲海の上に浮かぶ城を見ようと多くの観光客が訪れています。 https://takashi-kawaguchi.com/access-to-bichu-matsuyama-castle 天然温泉 ... 夏にはここで大盛りのかき氷を食べてさわやかな気分になるのもいいで … 備中松山城を訪れるなら、城への行き方と所要時間を理解しておくとスムーズです。 まず徒歩で山歩きも楽しみたい方は、JR備中高梁駅から城まで徒歩約1時間30分、臥牛山8合目のふいご峠からは徒歩約20分、雲海展望台からは徒歩約1時間の距離があります。 仁治 元年( 1240年 )、 秋庭三郎重信 が 備中 有漢郷(現・岡山県高梁市 有漢町 )の 地頭 となり大松山に最初の城を築いた。 元弘 年間( 1331年 頃)、 高橋宗康 が小松山まで城を拡張した。 城主は時代と共に 上野氏 、 庄氏 、 三村氏 と変遷する。